[排泄介助はそこまで隠さなければならないのか?]
ユニット会議での出来事であった。
「バケツでは排泄のイメージが悪い。 トートバックかバスケットか排泄介助とは分かりにくいものに変えるべきだ」
との意見が。
トートバックやバスケットは汚物を入れるものでは無いだろ?
トイレにピクニックに行くつもりか? 予防着は着たままで。
思わず呟いてしまった。
「排泄は恥ずかしい事だから、見苦しいから。 人目に触れてはならないものだから」
排便から入居者の健康状態を観察している介護職が何言っている?
黒色便なら上部消化器が、鮮血便ならば肛門付近からの出血の恐れが。 しげしげと眺めているではないのか。
一昔前なら水洗トイレとは言え、自宅にバキュームカーが回収に来ていた。
日常的に汚物が存在していた。
さらにそれ以前には農村には肥溜がありはまってしまって大変な事になったなんて昔話もあった訳だ。
今では下水道や共同浄化槽が配備された地域が多くなり汚物を目の当たりにする事も無くなっている。
トイレで流れる便以外は見た事が無い。 そんな輩もいるのではないだろうか?
検便にしてもそうだ。 私の世代 (昭和50年生) はマッチ箱に入れていた気がする。 登校時にはビニール袋に入れて。
検便の朝には箱からはみ出さない様に気をつけながら、軟便の時などはいかにして箱に収めるか悩んだりしたものであった。
今は綿棒の先程の便を密封されたブラスチックの容器に入れているそうである。
そこまで便が不潔だ。 隠すべきだ。 と思うなら今まで通りのバケツで良いではないのか? 汚れたら洗浄する事も出来るし消毒も簡易だ。 合理的である。
排泄介助風景が目に余ると言うのであれば手づかみで食べる食事の方がよっぽどタチが悪い。
自力摂取を促すと言う名のものに、他の入居者は見苦しい食事風景の中で朝・昼・夕と毎食召し上がっている訳である。
隔離なりなんなりするのが筋ではないか?
そんな発言をしようものなら、
「自力摂取は正しいのだから、自力摂取こそが普通なのだから」
正論を張り上げられるのがオチである。
いっその事、バケツで出勤してみようか。
ここではトートバックや鞄は汚物を入れる物ですから。 と。